Oh Lately

アメリカ在住デザイナー先生のブログ

コロナウイルスに負けないオンライン授業を無料で作ろう

こんにちは。ヨウ先生@yo.sensei.designです。

 

私はカリフォルニアのArt Center College of Design と多摩美術大学で先生をしています。コロナウイルスによる学校閉鎖で子供が自宅待機、親が仕事に行けないなどという問題も起こって大変ですよね。では学校で実際に授業ができないなら、インターネットを使ってリモートで授業をしたらいいのではないしょうか。

 

私はデザインスクールで5つほどの授業を受け持っていて、クラスでは全てのコンテンツをウェブサイト上で公開しています。主なコンテンツはレクチャー、技術的なチュートリアル、ディスカッション、課題(宿題)などです。学生の課題の提出も生徒専用のページが有り、学生がアップロードできるという仕組みを作っています。フリーで使えるツールを活用して作る授業のコンテンツを紹介します。

 

授業のコンテンツ:

  1. 雑談・出席確認
  2. 授業のアウトライン
  3. 前週の課題の発表と講評
  4. レクチャー
  5. 技術的なチュートリアル
  6. ディスカッション
  7. 課題

1.  雑談・出席確認

私は授業の初めに雑談をします。週末に何をしたとか、映画を見たとか、新しいストリートフードを見つけたとか、他愛ない内容ですが、学生の反応を見たり、リラックスさせるために会話をします。出席確認は学校が用意しているシステムがあるので、それを使って処理します。

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Slackのクラスのメインスレッド

この段階でのツールはSlackが便利です。Slackのメインのスレッドを作っておき、ここで出欠確認、授業のアウトラインの説明、ちょっとした雑談を入れることができます。Lineでも同じような仕組みが作れるでしょう。

 

2. 授業のアウトライン

私の受け持つ授業では授業1セッションに付き一つのページがあります。そのページの中で今回の授業の概要、目次、関連資料のリンク、ファイルのリンク、課題の詳細などが記されています。どのようなことが今日の授業の中で起こるのかを学生が知ることにより、授業に入りやすくなります。

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クラスのウェブサイト www.accdenv.com

授業のアウトラインはWordpressを使ってクラス用のページを作成しています。簡単なテンプレートを使用し、仕組みさえ作ってしまえば、Wordなどの文書作成ソフトのような使用感でコンテンツを作成できるので便利です。Wordpressはナビゲーションに階層をつけることができるので、簡単にコンテンツが見つけやすいという利点があります。

 

3. 課題の発表と講評

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学生個人のページ

このセクションは学生が前週の課題を発表します。学生はWordpress上に自分のページを作成し、課題を.jpgイメージでアップロードします。自分のウェブサイトをプロジェクターで投影しながら、インスピレーション、作品の意図、難しかった点などをプレゼンします。そのプレゼンに対する講評を先生と他の学生がディスカッション形式で進めていきます。この部分は双方的なコミュニケーションが必要で、マンツーマンの会話では他の学生がダレてしまいます。この場合はメインの授業の時間から切り離して、Slackの学生専用チャンネルを使い、課題のチェックとディスカッションをするのが良いでしょう。

 

 4. レクチャー 

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レクチャーのPDF

現在クラスルームの中でやっている授業の多くはインターネットを使って再現することができます。リアルタイムで同じ場所で授業を受けていなければ、ダレる、集中力が続かないなどの問題もありますが、システムの側で常にエンゲージした姿勢を示さないといけない仕組みを作る必要かもしれません。

 

 具体的にはレクチャー用のスライドを映しながら話し、スクリーンレコーディングする。動画をyoutubeなどにアップロードし、自主学習してもらう。そのレクチャーに対するフィードバックなどをSlack上でやり取りしてもいい。もう一つはZoomやGoogle Hangoutなどを使いスクリーンキャストしながら話す方法 です。このやり方は双方向的で魅力的ですが、すべてのエンドで高速インターネットが求められるので、これから調整してテストしていきます。

 

5.  技術的なチュートリアル


DP01 W08 Tiny House short

 

私の授業ではデザインのおけるテクニカルな部分も教えます。3Dモデリングやレンダリング、3Dプリンティングなどもカバーします。普段の授業では実際にデモのモデルを使いながらプロジェクターで講義します。わからない学生がいれば、その都度クラスを止め、わかりやすいように解説します。技術の理解力の高い学生と低い学生がいる場合、クラスの進行に支障が来されるケースもあるので、必ずしも最適な方法ではありませんが、生身の人間が教えているので緊張感はあります。

 

技術的なチュートリアルはスクリーンレコーディングを使い動画を作成し、 YouTubeにアップロードし各自学ぶというやり方が最適かもしれません。動画というフォーマットでは学生が自分のペースでわからないところなどを何度も見直して学べるという利点があります。

 

6. ディスカッション

アメリカの授業ではよくブレインストーミングやディスカッションをします。自分の思考をグループのなかで討論し発信することはとても大事です。ただ、声が大きい人が目立ってしまったり、熟考型の人がついていけないという弊害もあります。Slackを使ったグループディスカッションは良いかもしれませんが、人数が増えてくると収集がつかなくなるので先生にはモデレーター的な役割も求められます。

 

7. 課題

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課題の説明

課題の配布と提出はWordpressのウェブサイト上でします。クラスのページの一番最後にとても簡潔に記されています。このサイトにに行けば課題がわかるというので、わかりやすくて講評です。ただ、ウェブサイトがあるのにこの画面の写真を取ろうとする学生が多いのが最近の風潮です。

 

まとめ

私の教えるクラスは特殊なので、これが全てでの答えになる得ないとは思いますが、一つの参考になると幸いです。授業の色々な局面の中で最適なツールを使うことにより、クラスルーム活動をできるだけ再現するように考えることが大事だと思います。健康な若い人が隔離させられた状態で倦怠や快楽に逃げてしまうのではなく、テクノロジーを利用して学びの体験をしてほしいと切に思います。リモートでは学生が自分のペースで学習ができ、主体的に課題に接するという利点があります。学生の新しいポテンシャルを引き出すことができるのであれば、非常事態の代替手段という以上に意義があり、これからの教育のあり方を考える機会になると思います。ウィルスに負けないインターネット時代の教育コンテンツを先生が作ってみてはどうですか。

 

東北地方デザインの旅

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現在日本に一時帰国中。最初の1週間はお仕事でそのあとは国内を色々と回っている。一泊二日で東北地方を訪問。山形→青森→十和田という強行スケジュールなのだがなかなか楽しい。

 

山形では天童木工のショールームを見学。この家具屋さんはプライウッドの曲げ技術が得意で、柳宗理氏のバタフライスツールなどを製造している。このバタフライスツールはその昔彼女(現奥さん)がプレゼントしてくれて今でも愛用している。プロトタイプなんかが展示されて面白い。いままでそれ以外のプロダクトにはあまり詳しく無かったのだが、職人さんが丁寧に作っている家具たちはとても素敵だ。モダニズム的にシャープではないのだが、温かみと親しみがある家具たち。次は工場見学をしてみたい。

 

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青森県立美術館は新幹線の新青森駅からバスで10分なのだが、何かの予感がしてその場でレンタカーを借りる。美術館は縄文時代の遺跡の近くに建っていて素晴らしいロケーション。この日はアルヴァロ・アアルト展がやっておりラッキーだった。アアルト展は建築のドローイング、写真、家具、マテリアルなどが展示されていたが、建築エリアはやや物足りない印象。建築のエキシビションはバッチリとモデルがないと華やかさに欠ける印象。常設展の方は地元出身の奈良美智と棟方志功をフィーチャーしていて、かなり立派なコレクション。青木淳さんの建築もなかなか凝ったサーキュレーションでよかった。

 

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ここで、午後2時。レンタカーを借りていたのでその場で片道1時間半かかる十和田市現代美術館に行くことに決める。元来勢いで生きているので、一人旅はノリで予定変更できるのが楽しい。青森の田園風景(ジャガイモ畑)を延々と運転して美術館にたどり着く。

 

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十和田市現代美術館は西沢立衛氏による設計で、金沢の21世紀美術館から丸い部分を取り除いたようなデザイン。ひとつひとつの四角いボリュームは立体物、または映像のアートをフィーチャーしていてそれをガラス張りの回廊が結ぶというアイデア。それぞれの展示室はストリート側に向けてガラス越しにオープンされており、外に向けて開かれている。これは中から見ているとあまり感じないのだが、見終わった後に外から見ると建物自体がセットバックされており、巧みに内外空間が繋がっている印象。西沢さん名義の美術館はここと、豊島と、軽井沢に行ったけど、どれもアイデアが明確で意図が伝わるのが好印象。抽象的なデザインのインテンションを訪問者に考えさせるというのはとても素晴らしい。

 

ということで、一泊二日に弾丸ツアーだったが、とても効率的に有意義な旅ができたのが良かった。なかなかいいところなので今度はゆっくりと温泉にでも泊まりがてら来てみたい。

遠い太鼓

村上春樹さんの「遠い太鼓」が好きだ。キンドル版が出たので改めて読み返してみると色々な気づきがあって面白い。日本を飛び出したのが三十代後半ということは、今の自分の年代だ。この歳になってくると、色々な責任や頼まれごとや付き合いが増えてくる。ましてや春樹さんのように華々しくデビューを飾った作家は色々なお誘いや仕事の依頼が多かったのだろう。日本にいるとそのような雑事に追われて落ち着いて仕事ができないというのはとても共感できる。日本では多少のアチーブメントを達成するとみんな寄ってたかって持ち上げる(消費する)ので、いちいち舞い上がっていたら本質的に深みのある仕事は成し遂げ得ないとわかっていたから海外に脱出したのだろう。ギリシャ、イタリアで奥様と2人孤独な日々を送ることによって落ち着いた環境で書いた「ノルウェーの森」と「ダンスダンスダンス」は僕の一番好きな村上作品だ。やはり長い目で見て自分の人生の指針をしっかりと設定してそれに対して日々努力を積み上げるというのは素晴らしい。自分も見習おう。

インプット過多

最近とにかくインプットが多すぎる。朝起きてネットニュース、はてブを徘徊。暇な時間はだいたいネット見てるし、美味しいお店を見つけてご飯を食べることもインプット。夜の時間はNetflix、アマゾンプライムをビンジウオッチ。とにかく寝ても覚めてもインプット。

 

インスタにストーリーや写真をアップするけど、これは純粋な意味でのアウトプットとは言えない(インスタントすぎる)し、メールやテキストの返事も必要なことしか書かないし。

 

そもそも最近は読書力がかなり落ちている。昔は好きな本が見つかると一心不乱に読んで、それが脳みそにいい刺激を与えていたと思うのだが、やれラインだ、メッセンジャーだ、インスタグラムだ、オークションだ、テキストだ、などがひっきりなしに入ってきてすぐに読書が途切れてしまう。

 

一応仕事では与えられたタスクをアウトプットしているので、それに疲れてそれ以外のことでエナジーを使いたくないのかもしれないが、ひたすらインプット漬けというのもあまり脳みそに良くない気がする。

 

ということで、トレーニングの一環として文章を書くことにする。まあこのような駄文を世界に向けて発信するのも申し訳ない気がするが、とにかく行動を起こすということは大事だよね。

Spider-Man: Into the Spider Verse(ネタバレ)が面白すぎたので2年ぶりにブログを書く。

Image result for spiderman into the spider verse

http://www.spider-verse.jp/site/

 

スパイダーマンの新作を見た。オスカー取ったからというわけでiTunesで借りてみてみた。もうスーパーヒーローシリーズは数が多くて辟易しているのだが、モダンなストーリーとクリエイティブな表現でとても面白かった。

 

モダンなストーリー

ストーリー的にはマイノリティーが社会の階層を飛び越える、家族愛、恋愛より友情、という現代的な文法に則っていてよく考えられているなと。アニメだからといってそのへんの社会的リアリティーを疎かにしないところが好感がもてる。

 

色々なキャラクターの書き分けによるメタな視点

ベースとなる表現は今のストリートカルチャーのど真ん中を行くアメコミ風で、Air Jordanのオリジナルを履く主人公はストリートアートが好きな移民二世の少年。それ以外にも、別の次元から飛びをしてきた仲間たちは日本風アニメ、ノワール系のアメコミ、ディズニー、子供向けデフォルメなどのタッチを持っており、色々な表現が交錯する。ここが見ていてとてもクリエイティブで面白いと思った。

 

感想

しっかり作り込んだ映画はとても素晴らしい。映画館がちゃんと座ってみるべきだな、と思った。

なでしこジャパン サイクルの終わり

なでしこジャパン、負けましたね。オーストラリアはこのシリーズで恐らく一番強かったですが、そのチームと初戦で戦い負けてしまったので、上手く勢いがつかなかったのでしょうか?問題はもっと本質的なような気がします。サッカーでは絶対的な強さを示したチームが、世代交代に踏み切れずにしばらく低迷するというのは良くあることです。2008ユーロ、2010ワールドカップ、2012ユーロを制した黄金時代のスペイン代表は2014年ワールドカップ、ブラジル大会で見るも無残に敗れ去りました。1998年の地元ワールドカップで優勝したフランス代表も2002年の日韓大会ではグループリーグで敗退しました。

原因は過去の栄光を築いた選手をピークを過ぎて引っ張りすぎたこと、コーチ陣の体制が長くなりすぎ硬直化したことが考えられます。特に結果を残したチームに若い選手が入って定着するのは簡単なことではありません。なでしこジャパンにも同じようなことが起こったのではないでしょうか?

ともあれ、このチームから我々サポーターは数々の感動を受けたことは変わることはないですし、今回ダメだからと言って過去の栄光が色あせることはありません。今回は残念な結果に終わりましたが、これを機会に気持ちとメンバーを切り替えて、次の舞台で応援したいと思います。

新国立競技場について 建築関係者の視点

The updated design for the Tokyo National Stadium. Image © Japan Sport Council
 
 
最近2020年の東京オリンピックの新国立競技場の話題で色々と紛糾していますね。建築を志す者のはしくれとしてこの件についてどう思うかと周りの人によく聞かれるので、僕の考えをここにまとめたいと思います。
 
僕は実験的な建築のデザインで(その道では)有名なSCI-Arc(Southern California Institute of Architecture)という学校で建築を学びました。新国立競技場のデザインをしたザハ・ハディドのデザインが好きで学生時代の作品は彼女に大きな影響を受け、そのスタイルを真似て作品を作っていました。既存の建築の枠組みをブチ破る美しい流線形のデザインはエレガントでダイナミックで新しい可能性を感じさせます。僕は彼女の作品を見にスイスやドイツの田舎町まで足を運んだりもしました。ザハのデザインはとても複雑で建てるのがとても困難なのが特徴です。建設というのはできるだけ共通のパーツを使い効率的に作ることにより、コストダウンを図り経済効率を高めることが基本とされているのですが、ザハの場合は建物のファサードに使う数千個のパネルが一つ一つユニークなもので、全てカスタムメイド→バカ高いことが多いです。こういうデザインは通常の建築図面で表現することは不可能なので、3Dプログラムで実際にバーチャルな世界で作り上げて、それを現実世界で再構築していきます。
 
Riverside Museum by ZHA  © Unknown photographer
 
実はこの辺が僕の専門のど真ん中で、アメリカの大学で3Dモデリングを教えています。教材としてよくザハの作品をレファレンスしたり課題として出したりしています。作風に関しては好き嫌いがありますが、テクニカルな部分に関して言えばかなりレベルが高く、日本の建築教育はこのような技術的な部分でかなり遅れています。ということで、僕は客観的に見てザハのことは昔から知っていて、なおかつ大好きで、業界的にもその近辺にいるということができます。その僕が新国立競技場に賛成か反対かということをよく聞かれたときに、答えを出すにはただ単に建築のデザインが好きかどうかというだけでは不十分のような気がします。
 

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"Sydney Opera House - Dec 2008" by Diliff

 
優れた建築というのは社会の中でシンボルとしての役割を果たし、都市や国家のアイデンティティーとなり得ます。例えばシドニーのオペラハウス。あの貝が重なったようなデザインはとてもインパクトがあり、誰もがシドニーを思い浮かべるときにあの建築を連想すると思います。シドニー・オペラハウスはオーストラリアの中で、もしかすると南半球の中で一番有名な建物と言っていいかもしれません。このシドニー・オペラハウスは1954年に公募でデザインを選定したのですが、あの美しいデザインを考えたのは建築学校を出たての若いデザイナーで実務経験はなく、建設における効率性は考慮されていませんでした。見積りを取ったところ、建設費用は当初の予算の30倍の数字(!)でした。当時は市民を巻き込んだ反対運動も起きたといいます。最終的には当時の首相の政治的判断で、プロジェクトにゴーサインがでて、紆余曲折の末シドニーオペラハウスは竣工しました。このように建築とはただの建物という範疇を超越したアイコンになり得ます。このような建築物をシンボルとして捉えるやり方は歴史的にいろんな場面で為政者や政治家に利用されてきました。エジプトのピラミッドなんて、壮大な無駄ですよね。ただその後の何世紀にもわたって観光客がピラミッドをみにエジプトを訪れていることを考えると、あながち無駄とは言い切れないかもしれません。

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www.independent.co.uk

 
建築を国家的アイコンとして国家のアイデンティティーの発露とするという考え方は、その主体である国家がどのステージにあるかというのは大事な要素です。中国は2008年の北京オリンピックに向けてスイスの世界的建築家であるHerzog de Meuronを採用し、あの有名な「鳥の巣」競技場を建設しました。当時の中国は北京オリンピックと2010年の上海エキスポを控えており、華々しく国際社会にデビューするきっかけとしてその国家的姿勢を建築的シンボルという形で世界にアピールする必要がありました。北京オリンピックはあの途轍もなく壮大な開会式で世界に対して大きな花火を打ち上げ、中国の世界の中の立ち位置を変更させる重大な事件でした。北京オリンピックスタジアムはその後中国の紙幣に印刷され、現代中国のシンボルとしての機能を果たしています。
 
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gulfnews.com / London Olympic Stadium Infographic
 
北京の次のオリンピックのロンドンオリンピックでは全く逆のコンセプトでスタジアムの構想が練られました。オリンピック競技以降、以外では8万人収容の陸上競技のトラック付きスタジアムで大会をホストする機会はない上にメンテナンスの費用がかかりすぎるということで、5万席の常設シートと3万席の仮説シート、オリンピックが終わった後に仮設シートを取り除いて規模の小さなスタジアムとして運営するという案でした。これはインフラストラクチャーが飽和状態の先進国で行うオリンピックとしては新しい取り組みでした。「無駄を排除する」「環境に配慮する」というコンセプトは当時はグローバルウォーミングなどの関心の高まりもあり、時代にマッチしておりそれにより招致に成功したと言えると思います。
 
北京とロンドンの例と較べて東京オリンピックの招致活動はどのように行われたのでしょうか?「おもてなし」というコンセプトは世界中の人が日本で快適な時間を過ごすために客人を丁寧にもてなすということで、素晴らしいことだと思います。ただ招致活動を通じて顕著だったのは日本特有の奥ゆかしい(分かりにくい)歓待の心ではなく、自己主張のはっきりした、華やかで、ド派手で、金がかかっていて、大がかりで、前時代的な大会構想でした。そしてその中心にあったのがザハの新国立競技場だったのは明らかです。あの壮大なプレゼンテーションの中で、世界的に有名なザハ・ハディド氏による未来的なメインスタジアムは招致の目玉であり、中心的な役割を果たしました。僕はあのザハのスタジアムがなければ東京オリンピック招致のコンペティションは勝ち抜けなかったと思っています。IOCという組織はあの悪名高いFIFAと並んで汚職にどっぷりと塗れています。IOCは少数の特権的メンバーによって運営されていて何よりもカネが全てです。彼らにはインフラストラクチャーが五輪後にその都市においてどのような役割を果たすかなど考えることはなく、大会が巨大な集金マシーンとして世界中からカネを集めることが第一の目標です。そのような環境の中で東京オリンピックは招致合戦に勝利するための最善の方法としてあのコンセプトを作ったわけで、東京でオリンピックを開催するということが究極の目標で手段を選ばないのであれば、大成功と言えるかもしれません。東京五輪の招致委員会は世界に向けてこのド派手で巨大なオリンピックを約束してしまったのです、国民のコンセンサスを取らずに。
 

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© ZHA
 
さて、現在の日本という国の立ち位置を考えた場合この計画は理にかなっているのかというと、全く違うと思います。日本は高度成長期のど真ん中にあって2桁のGDP成長をしている国ではないのです。この計画をブチ上げたお偉いヒトは恐らく日本という国がもう一度奇跡的な経済成長を遂げ、世界の覇権に挑み亜細亜に平和と繁栄をもたらすと考えてるのかもしれませんが、客観的に見て日本という国は成長のドン詰まりで、これからゆるやかに衰退していく運命にあることは間違いありません。これからの日本は限られた資源を賢く使い、スマートに生きていくしかないと思います。そういう意味では、オリンピックなどを開催して使いもしない施設にべらぼうな公共投資をするというのは大間違いなのです。2500億円のスタジアムなど現在の日本の国勢を考えると狂気の沙汰としか思えません。今の日本に必要なのは国家の威容を示すシンボル的建築物なのではない。全くない。このオリンピック招致の構想が壮大な勘違いとずさんな計画に拠っていることは明らかです。個人的にはこのスタジアムはカッコイイと思っていることを差し引いてもこんなバカデカくてバカ高い箱は現在の日本には分不相応だと切に思います。
 
ではなぜこうなったのか、当事者以外は皆反対なのに後戻りできないのか、ということは次回書きます。