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アメリカ在住デザイナー先生のブログ

新国立競技場について 建築関係者の視点

The updated design for the Tokyo National Stadium. Image © Japan Sport Council
 
 
最近2020年の東京オリンピックの新国立競技場の話題で色々と紛糾していますね。建築を志す者のはしくれとしてこの件についてどう思うかと周りの人によく聞かれるので、僕の考えをここにまとめたいと思います。
 
僕は実験的な建築のデザインで(その道では)有名なSCI-Arc(Southern California Institute of Architecture)という学校で建築を学びました。新国立競技場のデザインをしたザハ・ハディドのデザインが好きで学生時代の作品は彼女に大きな影響を受け、そのスタイルを真似て作品を作っていました。既存の建築の枠組みをブチ破る美しい流線形のデザインはエレガントでダイナミックで新しい可能性を感じさせます。僕は彼女の作品を見にスイスやドイツの田舎町まで足を運んだりもしました。ザハのデザインはとても複雑で建てるのがとても困難なのが特徴です。建設というのはできるだけ共通のパーツを使い効率的に作ることにより、コストダウンを図り経済効率を高めることが基本とされているのですが、ザハの場合は建物のファサードに使う数千個のパネルが一つ一つユニークなもので、全てカスタムメイド→バカ高いことが多いです。こういうデザインは通常の建築図面で表現することは不可能なので、3Dプログラムで実際にバーチャルな世界で作り上げて、それを現実世界で再構築していきます。
 
Riverside Museum by ZHA  © Unknown photographer
 
実はこの辺が僕の専門のど真ん中で、アメリカの大学で3Dモデリングを教えています。教材としてよくザハの作品をレファレンスしたり課題として出したりしています。作風に関しては好き嫌いがありますが、テクニカルな部分に関して言えばかなりレベルが高く、日本の建築教育はこのような技術的な部分でかなり遅れています。ということで、僕は客観的に見てザハのことは昔から知っていて、なおかつ大好きで、業界的にもその近辺にいるということができます。その僕が新国立競技場に賛成か反対かということをよく聞かれたときに、答えを出すにはただ単に建築のデザインが好きかどうかというだけでは不十分のような気がします。
 

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"Sydney Opera House - Dec 2008" by Diliff

 
優れた建築というのは社会の中でシンボルとしての役割を果たし、都市や国家のアイデンティティーとなり得ます。例えばシドニーのオペラハウス。あの貝が重なったようなデザインはとてもインパクトがあり、誰もがシドニーを思い浮かべるときにあの建築を連想すると思います。シドニー・オペラハウスはオーストラリアの中で、もしかすると南半球の中で一番有名な建物と言っていいかもしれません。このシドニー・オペラハウスは1954年に公募でデザインを選定したのですが、あの美しいデザインを考えたのは建築学校を出たての若いデザイナーで実務経験はなく、建設における効率性は考慮されていませんでした。見積りを取ったところ、建設費用は当初の予算の30倍の数字(!)でした。当時は市民を巻き込んだ反対運動も起きたといいます。最終的には当時の首相の政治的判断で、プロジェクトにゴーサインがでて、紆余曲折の末シドニーオペラハウスは竣工しました。このように建築とはただの建物という範疇を超越したアイコンになり得ます。このような建築物をシンボルとして捉えるやり方は歴史的にいろんな場面で為政者や政治家に利用されてきました。エジプトのピラミッドなんて、壮大な無駄ですよね。ただその後の何世紀にもわたって観光客がピラミッドをみにエジプトを訪れていることを考えると、あながち無駄とは言い切れないかもしれません。

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www.independent.co.uk

 
建築を国家的アイコンとして国家のアイデンティティーの発露とするという考え方は、その主体である国家がどのステージにあるかというのは大事な要素です。中国は2008年の北京オリンピックに向けてスイスの世界的建築家であるHerzog de Meuronを採用し、あの有名な「鳥の巣」競技場を建設しました。当時の中国は北京オリンピックと2010年の上海エキスポを控えており、華々しく国際社会にデビューするきっかけとしてその国家的姿勢を建築的シンボルという形で世界にアピールする必要がありました。北京オリンピックはあの途轍もなく壮大な開会式で世界に対して大きな花火を打ち上げ、中国の世界の中の立ち位置を変更させる重大な事件でした。北京オリンピックスタジアムはその後中国の紙幣に印刷され、現代中国のシンボルとしての機能を果たしています。
 
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gulfnews.com / London Olympic Stadium Infographic
 
北京の次のオリンピックのロンドンオリンピックでは全く逆のコンセプトでスタジアムの構想が練られました。オリンピック競技以降、以外では8万人収容の陸上競技のトラック付きスタジアムで大会をホストする機会はない上にメンテナンスの費用がかかりすぎるということで、5万席の常設シートと3万席の仮説シート、オリンピックが終わった後に仮設シートを取り除いて規模の小さなスタジアムとして運営するという案でした。これはインフラストラクチャーが飽和状態の先進国で行うオリンピックとしては新しい取り組みでした。「無駄を排除する」「環境に配慮する」というコンセプトは当時はグローバルウォーミングなどの関心の高まりもあり、時代にマッチしておりそれにより招致に成功したと言えると思います。
 
北京とロンドンの例と較べて東京オリンピックの招致活動はどのように行われたのでしょうか?「おもてなし」というコンセプトは世界中の人が日本で快適な時間を過ごすために客人を丁寧にもてなすということで、素晴らしいことだと思います。ただ招致活動を通じて顕著だったのは日本特有の奥ゆかしい(分かりにくい)歓待の心ではなく、自己主張のはっきりした、華やかで、ド派手で、金がかかっていて、大がかりで、前時代的な大会構想でした。そしてその中心にあったのがザハの新国立競技場だったのは明らかです。あの壮大なプレゼンテーションの中で、世界的に有名なザハ・ハディド氏による未来的なメインスタジアムは招致の目玉であり、中心的な役割を果たしました。僕はあのザハのスタジアムがなければ東京オリンピック招致のコンペティションは勝ち抜けなかったと思っています。IOCという組織はあの悪名高いFIFAと並んで汚職にどっぷりと塗れています。IOCは少数の特権的メンバーによって運営されていて何よりもカネが全てです。彼らにはインフラストラクチャーが五輪後にその都市においてどのような役割を果たすかなど考えることはなく、大会が巨大な集金マシーンとして世界中からカネを集めることが第一の目標です。そのような環境の中で東京オリンピックは招致合戦に勝利するための最善の方法としてあのコンセプトを作ったわけで、東京でオリンピックを開催するということが究極の目標で手段を選ばないのであれば、大成功と言えるかもしれません。東京五輪の招致委員会は世界に向けてこのド派手で巨大なオリンピックを約束してしまったのです、国民のコンセンサスを取らずに。
 

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© ZHA
 
さて、現在の日本という国の立ち位置を考えた場合この計画は理にかなっているのかというと、全く違うと思います。日本は高度成長期のど真ん中にあって2桁のGDP成長をしている国ではないのです。この計画をブチ上げたお偉いヒトは恐らく日本という国がもう一度奇跡的な経済成長を遂げ、世界の覇権に挑み亜細亜に平和と繁栄をもたらすと考えてるのかもしれませんが、客観的に見て日本という国は成長のドン詰まりで、これからゆるやかに衰退していく運命にあることは間違いありません。これからの日本は限られた資源を賢く使い、スマートに生きていくしかないと思います。そういう意味では、オリンピックなどを開催して使いもしない施設にべらぼうな公共投資をするというのは大間違いなのです。2500億円のスタジアムなど現在の日本の国勢を考えると狂気の沙汰としか思えません。今の日本に必要なのは国家の威容を示すシンボル的建築物なのではない。全くない。このオリンピック招致の構想が壮大な勘違いとずさんな計画に拠っていることは明らかです。個人的にはこのスタジアムはカッコイイと思っていることを差し引いてもこんなバカデカくてバカ高い箱は現在の日本には分不相応だと切に思います。
 
ではなぜこうなったのか、当事者以外は皆反対なのに後戻りできないのか、ということは次回書きます。